私が日々感じたことなど、少しずつ書いていまーす。


余 り 物残 り 物

子供の頃、頂いたものを分配するのは姉の役目でした。

お菓子を二つもらうと、姉が手で重さを測ります、そうして軽い方を
私に渡すというわけです。

人形は可愛くない方を、洋服も形の気に入らない方は私に・・という感じでした。

周りの大人たちも、それを容認していたのか、私が一番先に何かを選ぶチャンスは
ほぼなかったように思います。

いつしかこの、‘残り物をもらう’ことが私の習慣のようになり・・
そうすると、本当に残り物ばかりが来るようになるのです。
でも、だんだん さしていやだとも感じなくなっていきました。


今、自分の欲しいものを選ぶとき

選べる幸せが本当に嬉しい。

そして、人に何かを選ぶとき

いろいろなことを考え合わせたりして、
プレゼントを選ぶのは 私の楽しみの一つになりました。

‘お福分け’ならいいけれど、‘残り物’は誰にあげるのも嫌だな〜

どんな人でも、残り物でいい人なんて、いないもの。



集団の心理


それが小さな集まりでも、人が複数になると 気づくことがあります。
会話の途中、行動の際、しぐさのなかでも。

どれかに合わせようとする、そんな感覚。

もちろんグループで集まって何かを話すには、どこかに方向性を
持たせないと、テンデンばらばら・・には 実際なりがちですね。

共通の何かを持ち合わせた人たちが、あるときグループを作って
そして割れて行く・・そしてまた違うときにグループを作っていく・・。

どうもその繰り返しのよう。

だから

独立した一人一人が集まることがあれば、それがいいと思う。
それは厳密にはグループとは呼ばないだろう。

きちんと自立が出来ている人ならば、集まり自体に敬意を払う。
そして互いの距離感にも敬意を表するし、意見にも、話題にも。

そうすれば、話題は順繰りに皆を一巡して気持ちのいい会話を
楽しむこともできるように思う。


そして、もし・・本気で何かを解決しようとするならば
セラピーでも カウンセリングでも 折り入った相談でも・・
そんなときは もちろんグループではなくて さし になる。




変わっている?その理由

 

‘どうしてそんなに 体のこと、心のこと、命のことにがむしゃらなのですか?’
と、きかれることが よくあります。

私としてはごく当たり前のことですが、人から見たらとにかく変わっているように
映るらしく、言われて私がびっくりするほど。

昔から、とにかくそういうことに関心があった、と思います。

医療関係の家庭に生まれ育ちましたが、父親が9人兄弟の長男だった
ということもあって、私が小さかった頃はなんだか
家にいつもワンサカ 人がいたように感じていました。

ワンサカいたのに、病気で一人欠け二人欠け・・
‘たくさん死んじゃうんだな・・’といつも思っていた私。

あるときは5年の間に3回もお葬式を出しました。

しかも、最期は家で看取るので、気がつくといつも
家に病人がいる・・という。

医療関係の仕事をしている、ということと
どんどん病人が出る、ということがどうしても
訳がわからなかった。

私が小さかった頃のある暑い夏の日。
私と同じ名前の叔母が 実家である我が家で闘病を
していました。

何にも食べられなくなって、薬を両手一杯
それこそそれが食事のようだ、とその薬を
見せてくれたことがありました。

かわいそうでした。何かできないかな、と思った私は
台所に行って
ミキサーにカルピスを入れました。
そしてそこに氷を入れました。
スイッチを入れると、今で言う‘スムージー’かフラッペのような
やわらかいカキ氷ができたのです。


叔母はとにかく喜んでくれて、本当に
おいしそうにすすってくれました。
ただでさえ、やさしい叔母がもっとやさしく見えた思い出です。

次に憶えているのは、夜中に亡くなった、ということだけ。


大人になった今は こんな話もすることはあまりないけれど
きっと こんなことが今の私の方向を決めているのだと思います。

せっかく生きているのだもの、体も心も健康がいい。
もしバランスが崩れているなら、そこを直す方法を示したい。

食事ででも、セラピーででも。

がむしゃらに追求するのは、格好悪いことかな。
命のことにがむしゃらになれないことの方が
私にしたら残念なことなのでした。

だって、先人達の知恵や 歴史の中に散りばめられたヒント
森羅万象の理の中には 生きることに対しての
ドキドキするメッセージがたくさん。

そしてその生命の扉は 真摯に求める人に開くようになっているから。

そう信じているのです。


ガラスの目

今年5月のある日、私は中国にいました。
友人に頼まれた仕事を手伝うためでしたが、その終了日に
ある出来事が起こりました。

仕事の打ち上げを兼ねて、川くだりを企画してくれた友人たちと
一緒に川沿いを移動していたところ・・
一人のやせた少女が近づいてきました。

年の頃は7歳くらい、手に売り物の花を持っています。

私の視線を
下からすくうように見ています。

通り過ぎようとした、その時
急に彼女は私の上着を掴みました。
そして今度はものすごい速さで私の左腕に全身を絡み付けて、
両足で私の足を押さえています。

動きがとれなくて、叫び声を上げると
前を歩いていた友人が二人飛んできてくれて ・・大人二人がかりで
彼女をほどこうにも びくともしません。

彼女をはずそうと、もがいているときに
その子と目が合いました。

これは、目と言えるのだろうか。
ガラスのようで、何も見ていない・・何も映らない
あるとすれば、すべてに憎しみを持っているような・・そんな
初めて見た 目 でした。

そんな目を 小さな子供が持っていることがショックで
とにかくショックで、その後の川くだりの最中も
しばし 考えてしまいました。

どこで何があったのかわかりませんが、
心を凍らせて 生活しなければならなかった
理由が彼女にはあるに違いない。

大なり小なり、傷ついた心はあるけれど
その局地は・・生きながら死んでいる・・状態かも知れない。


川下りが終わるころ・・この出来事は
私の中を通過して行きました。
川が流れていくように。

私はセラピーを仕事にしているから
今の私に必要な出来事だったのでしょう。

あんな目が 存在すること・・
そこまで傷ついた心も あるのだということ・・
それも 小さな子供にも・・


見えない世界に関わる仕事は
ともすると ファンシーな雰囲気を表現しがちだったりします。

でも 本当は生活に密着しているもの、と感じます。
密着している・・だからセラピーのあとは
自分の生活が変わる。

だから実感がある・・。

傷ついた心を取り戻す作業は
シビアです・・でもだから とても素敵なのです。



2007年不思議な写真


2007年2月7日付けのブログに載せた、不思議な写真・・。

今までこんな写真が撮れたためしもなく、
なぜ今回こんな風になったのか本当に不思議でした。

私が使ったのは携帯のカメラ。
場所は中国のとある城門の前です。

時が時なら、この門をこの位置から見るだけでも
首が落とされていたはず・・そんな史実が興味深くて、
もう一度振り返ってそこを写真に撮ったのでした。

日本に戻っても携帯の写真なので確認することもないまま
数日経って・・電車の中で発見してビックリしました。

家でプリントアウトしてみると、
最初は写真サイズを間違えてとてつもなく大きく
プリントされて出てきました。

でも、それを眺めていて・・わかったのです。

これは私の過去世の一つで、セラピー中に体験済みだったものでした。

両側をたくさんの旗がはためく・・その中を過去の私は歩いていました。
なにやら凱旋のようでした。大きな声が戦いの勝利を祝っています。

その過去世は、もう数年前に現世の出来事と重なっていましたが
今回2度目として、私の前にやってきました。

さて・・2度目なら重要だ、と思います。
何が始まるのでしょう。何が起こるのでしょう。
きっとまだ気づくことがあるのでしょう。

写真は光で取り巻かれるように写っています。
そしてその下の方は、本当に綺麗なピンク色の
かわいい天使が写っています。

私はこれをブログにアップしました。
皆さんにもお見せしようと思ったからです。
私に起こっていることは、このHPを読んでくださる皆さんにも
何かしらシンクロするはず。

不思議で素敵で・・きれいなエネルギーを
感じてもらえたら、と思います。



今の自分が語りたい


すごい変化の中にいる・・と感じることがありませんか。
仕事が変わるとき、人生の節目を迎えるとき、好みが急に変わったとき、などなど・・。

以前の自分も本当だし、今もこれからも自分は自分をやっているのだな、と。

それが、無責任な情報や環境だけに流されているのでなければ、
変化はとっても素敵なもの。歓迎すべきものだと思います。

自分の変化を許せたら、友人が変化していることも、もちろん喜ばしいことと思える。
それが一時大変な状況のように見えても・・。

いつも今の自分が語りたい。

この間までと考えが違っていても、ごめんなさい、これが今の私です、と言いたい。
そうだ、ごめんなさい、も要らない。

いつも自分をアップデートしている自分がいい。

自分の変化を楽しむ自分がいいな。



もんじ屋の思い出


もんじ、もんじゃ、もんじ屋・・と呼び方はいろいろですが
群馬の田舎ではこう呼んでいました。
小学校の低学年のころ、毎日学校から帰ると卵をひとつ握って
もんじやに行きました。みんながそこに集まっていて鉄板を囲んで
食べながら、おしゃべりをするのが楽しいからです。


そこのおばあさんは一人もので、小さな体にいつも着物を着ています。
別に子供たちが好きそうでもなく、ただもんじの液が少なくなると
カメいっぱいに作ったり、やきそばの注文がくると
立ち上がって、違う鉄板で焼いてあげたりしていました。

なんだかいつも淡々としていたような。

あるとき鉄板横の2畳ほどの座敷でおばあさんがキセルを吸っていたときのこと。

ぼーっと見るその視線の先には
仏壇があって、兵隊さんの写真が飾ってありました。
軍服を着た17、8歳くらいだったかな。
白黒写真ですこし茶色になっていたように覚えています。

あとで友達に聞くと、それはおばあさんの一人息子で戦死したとか。
思えば、いつもぼーっとそっちの方を見て
キセルを吸っていたようにおもいます。

もんじ屋にくる子供たちを叱るわけでもなく
ましてや、一緒に楽しくおしゃべりするわけでもなく
仕事と仕事の合間にぼーっとしていたおばあさんを
私はときに思い出すのです。

大きくなってから、そんな映像を毎年今ごろ、
夏の終戦記念日のころに決まって思い出すようになりました。

私の周りに戦死した人はいないけれど
戦争の悲劇は子供ながらに感じていたのですね。

もんじ屋のおばあさんが、何か魂がないまま
生きていたような・・そんな感じがしていたのです。

いいえ、魂をどこかに置いてきてしまったような、感じでした。

鉄板を囲んで、ワイワイ楽しむ私たち小学生とは対照的でした。

「もんじには○○を入れるのが本道よ〜」と言い合う暢気な会話を耳にするとき
私には、おやつのもんじが何故か戦争の傷跡と一緒の思い出になっているのに驚きます。

ふと目にした景色やら、思いがけず手に取った物やら
無意識だけど出会った意味がある・・。
そしてその意味にずっとあとになってから気づくこともある・・。

自分の人生が一本の帯のように過去から今、
そしてこれからにつながっているのを感じる瞬間です。
そしてすべての小道具が自分の人生のために特別に用意されているのでした。


おもてなしをする心・おもてなしを受ける心


この名前の本をずっと探していました。
もう20年くらいかな・・。笑

絶版になってしまっていて、手に入らないことは
探し出してすぐの頃にわかりました。

でもタイトルのこの言葉がメッセージのように
私の中にいつもあります。


実家は田舎の本家でしたから、季節折々の行事に
母は大量の料理を作ったり、家の掃除をしたり・・と大忙しでした。
母が不平を言ったこともないのに、幼かった私はどうもすべての行事が
母へのいじめのように思って、周りを恨んできました。

大きくなって、今度は自分が人を招いたりするようになると・・
なんと、楽しくお招きしたはずが、おもてなしを楽しんでいない自分がいました。

何度も何度もその感覚を繰り返し味わいました。

今度こそ・・だって好きな友人が来るんじゃない?・・なのにどうして
おもてなし自体を辛いことに感じてしまうのかしら?

そんな感じでした。

そんなある時、この名前の本があることを知ったのです。
どんなことが書いてあるのか、知りたくて知りたくて
探しました。でも見つかりませんでした。

どうしても見つからない本なのだ・・とわかったときに
不思議にもその本の内容がわかったような気がしました。

おもてなしをする心、おもてなしを受ける心

この二つがバランス良く作用するとき
その集まりは、何も十分な食べ物がなくても
気の利いた話題がなくても
全部が素敵な集まりになる、と言っているようでした。

まず、自分がお招きを受けたときに、そのおもてなしを心から
楽しく受けとめる自分でいたかしら・・と考えてみました。
するとそこからいろいろなことがわかりました。

向こう側の気持ちを考えることで、今度は
自分がおもてなしをすることを思ってみると・・
これがまた新鮮なのでした。

こんな心の中の作業を通して、一冊の本が
すべて自分の中に入ってきたようでした。

探し物が見つからない・・こんなこともまた
理由のあることなのだなと思います。




希 望


私が大学生だったときに、ある討論会に出たことがありました。

今の日本は軍拡か、軍縮かどちらが好ましいかを2つのグループに分かれて
討論する、というものでした。
あの頃から今も論点はあまり変わっていませんね。

そのときに、私は軍縮を掲げた方にいました。
でも、ほかの人全員がなんと軍拡を主張して、2つのグループには成り立たず、
私vsグループという図になってしまったのです。

グループ心理も手伝って、相手方はなんだかすごく過激になりました。
軍縮を旨とする私に、「理想主義すぎる」の声も。

私といえば、味方を一人も得られませんでしたから
主張する声も小声になりがち・・。
居心地が悪いな〜、と背中に汗していました。

2時間が過ぎて、討論をじっと横で見ていたシスターが初めて口を開きました。

「現実がどうであれ、若い人達には希望を持ってもらいたい」とだけ、言ったのでした。

そうです、どんなときにも希望を持てる・・それは若者の特権でした。
社会に迎合するうちに、すり減って行くものの多さは
誰よりも年配者が知っているはず。


今ニュースでさまざまな悲観的な場面を見たり、聞いたりします。
なんだか情けなくなっちゃうな、今の日本・・なんて思うとき
いつもあのシスターの言葉が浮かんできます。

希望は光ですね。その光をもっていつも生きていけたら
どんなに素敵な人生でしょう。

反対に、周りで起こることにずっと幻滅しながら生きる人生も
用意されています。

いつもいつも、選択だな〜、と思います。



これはなんだろう?


日本でテレビを見ていて、不思議でならないことがあります。
悲惨なニュースの後で、周囲の人にその事件をインタビューするときのことです。
笑顔で感想を言う人があまりにも多いと感じるのです。

「ちょっと怖いと思います」「どうしてこんなことが起こるのでしょうか」などなど、
言っている言葉と表情が逆で、
そのことに不気味さを感じるのは私だけなのでしょうか。


人と話していてもそうです。

自分の大変な体験を話すときも、そして他人の苦労話も笑いながら
聞き流す人が多いのにはびっくりしました。

「なんだか諦めの境地で笑いが出ちゃうのよ〜」という自嘲的な感じでもありません。

どうしたんだろう?
これが素直な私の感想。

どうしちゃったんだろう?これは・・
いつ、そうなっちゃったんだろう?

まじめな話をまじめな顔で話す、
可笑しい話は話すときも可笑しい表情になっちゃう、
怒る(いかる)ときは、しっかり怒り顔で、
悲しいときは自然と涙が出る、

人間はそういう仕組みになっているのに・・

職場で一番重宝されるのは、例えばコンナ人。
「あの人は怒らないんですよ、仏の〜と言われています」とか。

でも本当は、怒る(いかる)べきときに怒らないのは、怒れないのは
どうなのだろう?

感情は3次元で生きる私達の特権、宝物ですね。
感情から探って気づくこともたくさんあります。


バランス良く、ということを少し深く考えてみようかな、と思っています。





パラレル・ワールド


私の今のこの生活と同時に、
違う人がそれぞれの世界を生きている事を実感するときがあります。

旅行をして・・いつもと違う景色、町並み、
そして普通なら出会うこともない人との出会いを通して、です。

あるとき私はシンガポールからベトナムに移動しました。
次の日、そこからシンガポールに戻って日本に戻りました。
それぞれ1日ずつ滞在しての移動でした。

シンガポールではいつも同様、多民族がひしめき合っています。

次の日、ベトナムに移動した私はそこに今まで見たこともない光景を発見します。
オートバイの波、物売りの元気な声、薄暗い路地で眠る赤ん坊・・

そして次の日はシンガに戻ります、いつもと同じ光景です。

さらに次の日は日本へ・・
高層ビル、仕事に急ぐビジネスマン、妙に礼儀正しいホテルマン・・

このどれも全てが今の私の生活と同時にそこに存在していることに、
とっても不思議な感覚を覚えます。

それこそ、パラレル・ワールドです。

どこに住むか、どんな仕事に就くのか、選べれば
それも楽しいパラレルですが
普通は選べない、と感じていますよね。


以前、父の看病をして病院に泊り込むことがありました。
配膳室には患者さんが自分で食器を下げに来て、おしゃべりして行きます。

その内容はときにはそれでも笑ってしまうもの、シビアで聞くに耐えないこと
夕べ見たテレビの話、嫁姑の話・・・

でも、そこにはその世界が厳然と存在しています。

馴染んでしまうとそれはそれで自分の日常になっていくのでしょうけど
「馴れ」は馬も川に流されて行く・・と書くくらいですものね。
楽しくそこに存在することを選ぶ方が良さそうです。

父はそんなときに「こういう世界があることもわかった。でも僕はもういいや」
と言いました。
そういって、自分の居心地のいい世界を選んだのだと思います。

本当は自分のいる環境は自分で選べるのかも知れない、と
その時を思い出して、そう感じました。

渦から外へ歩き出す、その思いさえあればそれも可能だな、と。
もちろんそれはセラピー的ですけれど。

もし今、グルグルの渦の中にいる自分が、何か違うと感じるようなら
渦の外に出る方法を考えてみましょうか。

それは意外にも、自分で思うほど難しくはないかもしれません。




テレビ


その昔、テレビで一日が始まって、番組が終わるときが
私の一日の終わりでした。

そう思うと、今はほとんどテレビを観ていないな〜、という感じです。

当時ある場所で、テレビを観ながら涙まで流して
大笑いをしている人を見かけたのです。

その時に私の中でわかったことがあります。

お笑い番組にどんなに笑っても、お気に入りのクイズ番組をどんなに観ても
それは自分の楽しい思い出にはならない、ということでした。
所詮それは他人ごとなのでした。

当たり前のことですが、何か整理されて自分の中に入ってきた感覚でした。


それから間もなく、私はシンガポールに行きました。
当時テレビを持っていなかったせいもありますが
ほとんど観ませんでした。

夕方のたっぷりとした時間は友人とおしゃべりしたり、
習いごとをしたり散歩をしたり・・と楽しく使いました。

今思い出しても素敵な時間でした。

さて、テレビとはなんだったのでしょう?

もちろん私も無責任におっかしい番組が観たいときもあります。
考えるのを辞めたくて、ぼーっと観るときもあります。
そんなとき、テレビは便利だな、と思います。

でも何かに集中したいとき、そして自分の感覚に耳を傾けているとき
そんなときにはテレビのスイッチをまず、オフにします。

静寂のなかで、どうにも落ち着かないときは
自分が何をしたがっているのか、考えてみることにします。


先日思い立って京都に行きました。
ひな祭りを感じながらあちこちを歩くうちに
シンガポールにいるときと同じ感覚をたくさん
味わっていることに気づいたのです。


無意識に観ているテレビ1時間と同じ間に・・
急に吹雪いてきた嵐山の風や、お団子の焼けるいい匂い
湯豆腐の白い湯気、お寺の本堂のピカピカの檜板
梅の香り・・

もっとたくさんのことを体験していたのでした。
そしてそれは丸ごと私の楽しい思い出になっているのでした。

どんなことも、全ては自分次第だな・・と思います。



自立は何のため?


最近このことを考える。

10年前、シンガポール行きを決心した裏には私のなかにこのことがあったのも確か。
何か、自分がべったり共依存の渦にいるような気がしていたから。

仕事も中途半端、社会のことも知らないし、
いつも同じ友人と会って、いつもと同じことをしゃべる・・
それがどうした、と言われそうだけれど
その時の自分にはそれがどうしても変な感じがした。

何かを変えたかった・・。

誰も知り合いのいないシンガポールに来て、がむしゃらに働く毎日が始まると、
どこかでそれを楽しんでいる自分がいた。

文化の違い、言葉の壁、現地の習慣にとまどったりもしたけれど
全部を体で吸収しているような、そんな爽快感もあった。

自身のネットワークも少しずつ出来て、それも大切に築いてきたものだから
居心地もよく、次第にシンガポールでの生活をエンジョイし出した頃のこと。

“〜の人を紹介してくださいよ〜。”とか、
“太田さんに頼って教えてもらうように言われてきました。”
とか言う人と遭遇するようになったのだ。

うれしい?いいえ、はっきり言って腹が立った。

安直に答えだけを求める人があまりに多いのにも、びっくりした。

探していろいろ行動するのは、太田さんにお任せして、
“で、結局どこに行ったら一番理想的に事が運びますかね?”
という感覚のように思えたのだ。

あまりのショックに家でじっとしていたのを憶えている。

そこで、気づいたのは・・実は共依存は自分が作り出していた、ということだった。

これもなかなか自分では認めたくなかった。
でも、自己セラピーをすると正直にならざるを得ない。

今も、もちろん宇宙の真理を探る途中で、その道の素敵な人に出会うことを
楽しみに(もう、出会いが一番の楽しみで真理探究は次くらい)
険しい山には登り、馬にもまたがり、スケジュールのない旅もしたりするけれど

どういう人に会ったのか、そしてどういう話をしたのか・・は
命のことに本気の人と対面したときにだけするもの、になった。

その経験は私が話すものではなくて、それぞれが感じるもの、ですものね。

感じる、そのことが人それぞれだから、いろんな人生になるので
同じように感じてもらっても困るのでした。

マスコミや、その時代の刷り込みや、常識という名前の
押し付けから一歩引いて、
自分の魂の目指すものをいろいろ経験して
私はオリジナルな私を構成して行っているように感じる。

それが本当の意味での自立なのかも、と今は思っている。




本当のことは目の前に・・


今回シンガポールでの(2006年2月)セラピーセッションを終えて
私はほっとした気持ちで空港に向かうタクシーの中にいました。

いつものことながら、タクシーの運ちゃんはおしゃべり好きで
“どこから来たの〜?”から始まって会話がはずみます。

民族も宗教も違う人たちが一緒に暮らす現地ならではの
楽しいおしゃべりのひとときです。

思えば、私はタクシーというもののなかで
どれだけ助けられたでしょうか。
どれだけ癒されたでしょうか。
ある運ちゃんは、完璧にへこんでいた私に
車内で歌を歌ってくれました。
あるときには、戦時中の日本語の歌を一緒に歌いました。
また、あるときはお菓子をシェアしながら人生相談もしてくれました。

そして、今回もマレー人の運ちゃんと一緒です。

“今からあと、20年くらい働いたらマレーシアに戻るんだ。
そして一戸建てを買う。庭付きだよ。^^
そこでパパイヤの木、マンゴーの木、鶏も飼ってさ〜
バナナも植えようかな・・
庭のものだけでも豊かに暮らせるよな〜。”

夢を語る彼はとっても嬉しそう。

“じゃあ、そのときまで健康でいなきゃねー。”という私に
“だーいじょーぶー(日本語で言ってました)
だって今もハッピーワーキングだもん。”と明解なお答え。

心が健康なら、体も健康。
心が不健康だから体に病気で出るんだ、というのが自説だそう。


本当のところ、これを聞いて私は驚いてしまったのです。

このことをわかるために、いったいどれだけの人が道を求めているでしょう。
今、ハッピーかどうか、これが今のその人の心の状態、引いては
体の状態を言い当てることができるなんて。

“どーして、そんなこと知ってるの???どーして???”と連呼する私に
彼はにっこり笑って言いました。

“ーーーと思うんだよ。そう感じるんだよ。”

感じる・・思う・・

そうです、この自分の感覚を信じられたら
それは限りなく真理に近いのではないでしょうか。

そして、もしもその感覚を、実生活のなかで信じられたら
それはもう、悟った、とも言えるのかもしれません。

彼との会話は、まるでシンガポールセッションを終了した
私へのプレゼントのようでした。

そんな気づきがゴロゴロ転がっている・・毎日が楽しいな、と思う瞬間です。

彼はやはりとっても気のつくドライバーで
空港で私を降ろすと、荷物を持ってくれました。
また、会おうね〜と言って、そのすってきな笑顔で送ってくれました。

やはり、笑顔も素敵なのでした。

何も特別なことをするのでもない、でも日常でたくさん気づく自分、
いいえ、たくさん気づいてワクワクする自分でいられたら、と思います。




アプリコット バックル ケーキ

高校時代、修道院の寮に入っていました。
親と離れて暮らしてみて初めて、家庭の味がどんなに素敵だったか
わかり出したころ・・

院の図書館で一冊の本を見つけたのです。
それは、ある女性が書いた料理の本でした。
外国人の旦那さんを持つ彼女の家庭で作られている、それはそれはおいしそうな
料理・デザート・お菓子の数々・・
あの時の私にはまるで魔法の家みたいに見えました。


大きな肉の塊、見たこともないおしゃれなまな板、デザートのお皿は
まさにそのケーキのためだけにあるような形をして。

院の夕食を想像して、本と現実の差にため息交じりに写真を見つめました。
何度も何度もページをめくりました。

こんな料理を作れる人はどんな人なのかな、という気持ちも高じて
“いつかこの本の著者にお目にかかりたいもの”と
その時決めていたのです、きっと。

そうして、それから数十年が経ち私は日本にまた戻ってきました。
聞くと、彼女のケーキショップが横浜のデパートに入っているとのこと。
急いで行きました。

1回目、探し出せなくて断念しました。

2回目、電話番号を調べて場所を確認。
そうして、その店の前に立ちました。

ショーケースを前に、私は何だか感無量でした。
あの時に見た、本のケーキが全部そこにありました。

それは、他のケーキとは確実に違うという、ある何かを持っていました。
それが何か言い表せないのですが、ものすごい気迫を感じました。

ホールピース売りなので、一つ買いました。
十分大人の私なのに、一つ買うのがやっとの値段でした。

家に帰って包みを開け、ナイフで切って、そ〜っと食べました。笑
すると・・本当にぶっとびました。何が、って心がです。
きちんと作られた、その味と心意気に、“これだー、やったー!”と
ひとり叫んでいました。^^;

彼女のケーキは、日ごとに味が深くなっていくので有名です。
誰がそこまで計算したのでしょう。
確かに一日毎に、味が違います。そしてそれは10日続くのです。

きちんと作られたものを頂いて、人の気持ちが良くならないはずがありません。
このケーキに会いたかった数十年を一気に埋める力強さをもっていました。


ケーキの主はもう70歳を過ぎていることだと思います。
そして、私が二度目買いに行った次の週に、そのショップは閉店となりました。
私は滑り込みセーフだったようですね。^^

何か、目に見えないものが寄ってたかって私に何かを伝えようとしている気がします。
この意味もケーキ同様、時間とともに熟成するのでしょう。

目に見えないものを信じない、ことも大切な経験だと思います。
でも果たしてそれだけで、自分がいつもハッピーに生きられるかどうかわかりませんね。

本当のところは自分が知っているのですから。

私はこのアプリコットバックルケーキでまた一つ通過した自分の思いが
あることにも気づきました。



距離感


それをきちんとしよう、と思ったのは、初めてフィリピンに心霊治療を受けに行ったときでした。

もとはといえば、その計画は私の知り合いの女性のためでした。
病気になった彼女にどうしても健康になってもらいたくて、一緒に行く計画を立てたのでした。

そして誘うと、「いよいよダメになったときには行きます。
でも今回は行きません。」と言われました。

唖然として声もでませんでした。
自分の体のことを、二の次に考える人を目の前にして、失望しました。

その日はある意味ショックで、いろいろ考えたのを憶えています。


そして、それから人には人のプロセスがあるのだ、ということを実感したのです。

誰も同じようには感じない、受け取らない、でもそれでいいのだ、と。
違いを尊重すれば、自ずと距離感も生まれる・・これでいいのだ、と思いました


当日、私は一人で誰も知り合いのいないフィリピンへ飛びました。
時間が取れなかったので、日帰りでした。
費用は優に1000ドル(日本円で10万円くらい)を超えました。
お金のなかった頃でしたから、シンガポールに戻ったら、また一生懸命働かなきゃ、とか考えながら。

あの経験は人との距離感を教えてもらったのだ、と思うばかりでした。
それがまさか、その後の自分のためになるとは、思ってもいませんでした。

そうして、あのときから10年が経ち・・私は確実にそのライン上にいるのを感じます。
自分の体のこと、心のこと、バランスを取るということ、そんなことに興味を持って
いろいろ勉強したり、感じたりしている自分がいます。

フィリピンはといえばその後知り合いがたくさんでき、私の第二の故郷のようにもなりました。
そうしてその知り合いが今度は日本を訪れ・・。
思ってもみなかった協力体制をとってくれます。

あのとき、何だかわからないけど、自分の直感を信じて行動して良かったな、と思います。
私はやっぱり、自分で行動するタイプなのでしょう。
その最中にいろいろ感じたことが、実は自分の宝物になることをどこかで知っているのです。

あの時にかかった金額はとっくにもう何百倍にもなって私の中に戻ってきていたのでした。




門外不出


今年春、フィリピンからシンガポールに戻り、それから本格的に日本に引き揚げて来ました。

シンガポールの皆でさえ、去年私がフィリピンに移住を決めると、不思議がりました。
とにかく、フィリピンは時代を逆行しているようなイメージが強く、
開発に命を注ぐシンガポールから移住するには
何かものすごい理由がありそう、とたくさんの方から質問攻めでした。
そこに行く理由はもちろん確固として私の中にはありましたが、いちいち説明するのも面倒だし、
しても到底わかってもらえなさそうなので、極力言わないことにしました。
フィリピンにいる間にたまにシンガポールに戻ると、またいろいろ聞かれましたが
何をどう説明したらいいのか、ややこしいのです。

私は、フィリピンで中国4000年の伝統を持つと言われている
漢方薬、薬膳料理、養生料理を習っていたのです。
その昔、中国から逃れてきた一族がフィリピンに隠れるように生活しているのを
数年前偶然に知ってから、いつか習いたいもの、と願っていたわけです。

セラピーは言葉で、人の心の中に気づきを起こし開放していく素敵な道具です。
人間の「食べる」という行為にも、人を生き返らせるほどの力があるように
いつの頃からか思っていました。

その部分がどうにも間違っていて、だから人は簡単にダイエットを考えたり、
カロリーだけを信仰したり、一点健康食品崇拝になったりするのじゃないだろうか、と
感じていたのです。
すっかり体のことは置き去りにして、です。
体と心は密接に繋がっているから、そうなるときっと心にも
何らかの影響があるはず・・。
悩むことがあると、まず食が細くなったり、逆になったり・・ということは当たり前のように
起こる症状ですよね。

この世の中に、病人が一口食べたら命を生き返らせるほどの力のある、食べものを作る、
そんな作り方を知っている人がきっといるに違いない。
なぜかそう信じて、それをフィリピンにいる一族が知っているに違いないと信じて、
教えを請いに行きました。

勘ははずれませんでした。

その一族は、そういったレシピを先祖代々受け継いで守っていました。

でも、もちろんそれを門外の人に易々と教えてはくれません。
最初、「あなたは弟子ではありません。だから教えるわけにはいきません。」とはっきり断られました。

「そりゃ、もちろんです。」と私。

またあるときは、おじいさんの近くにいつもいる人から
「手法だけを盗みに来たスパイがいる」といわれもしました。

そんなのじゃない、でもそれが伝わらない・・。

それからです。
毎日毎日おじいさんのいる危険なチャイナタウンに通いました。
裸ん坊の子供達が物乞いする道を朝、夕2往復です。

そして毎回、そのおじいさんに頼みました。
おじいさんは、ときに聞こえないふりで患者相手におしゃべりをしたりします。


一ヶ月くらい経った頃・・おじいさんが聞きました。
「どうしてそんなに、こんなことが知りたいの?」
私は「それを作って食べさせてあげたい人がいるからです。」と言いました。
それが正直な私の気持ちでした。

最後の最後におじいさんは根負けして?私にその手法を教え始めました。
今度は中国語との戦いが始まりました。^^


それは、今までに習ったことのない、命を養う調理法でした。
自然の森羅万象を組み込んだ、人間と宇宙が融合するものでした。

それを食べたら・・一口でも完璧にその栄養が取り込まれる。
そしてどの臓器にその栄養が送り込まれるかまでも計算の上。
そして何よりも飛びきりに、おいしい。


フィリピンに滞在している間に、習えるだけ習いました。

おじいさんが中国本土に往診にいくときは、一緒に中国までついて行きました。
その道中、どのタイミングでおじいさんが教えてくれる気になるかわからないからです。

拾える情報は必死で書き留めました。
書いているうちに、それが実は食に留まらず、人間学にも繋がっていることに気づきました。
人の後姿から、背骨の様子ひいては健康状態、ひいては人生の状態まで・・。

まるで諸葛孔明と一緒にいるようでした。^^


でも一つそれには約束がありました。

「絶対にこの作り方は人にはもらさない」ことでした。

私はこの調理法が人の命を養うなら、どうしてこの作り方を普及させないのかと
思い、その心の狭さに怒りもしました。

どうしてもその理由が納得できません。
日本に帰ったら、作るのはもちろん、他人にも教えてあげちゃおう、
くらいに考えていました。

良いものは皆に−、が自分のモットーだったからです。


それが・・あるとき、「命の卵」を作っていてわかったのです。
どの料理にもそれこそ、厳格な漢方の処方があります。
漢方は実は一歩間違えば、劇薬になるのです。

効き目こそ穏やかで、だから好まれる漢方は、一歩間違えば
ゆっくり人を殺していくこともできるのでした。

この料理法は、いわゆる「主婦ののんきな料理」ではないのです。
材料の一つが無いからといって、代用品では絶対に叶わない、
大雑把に測られた漢方では、薬効どころか命取りにさえなる・・
そういう真剣な手法なのでした。


それが理由で、弟子以外には絶対に教えない秘伝になっていたのでした。
伝言ゲームのように変化することを禁じる手段だったのです。

今私は、教えてもらったレシピで料理するとき
あのときのおじいさんの心を再現できるように、と心がけています。
レシピを通して、その心を自分の心に、体に頂戴する、という感覚でもあります。

日本に戻って、父の付き添いをしているときに、一本の映画を見ました。
「ショコラ」という題でした。
主人公はある秘伝のレシピに基づいて、チョコレートを作っていくのでした。
そのチョコレートを一口食べるなり・・人々は心を開いていく・・。
そういうストーリーでした。
素敵な偶然の一致に、日本で私がすることの一つがわかった瞬間でした。

(今後はその料理を実際味わってみる会、を企画中です。興味のある方はどうぞご連絡ください。)




二回目


前回父の病気のことを書いてから間もなく、私は父のお見舞いに突入しました。

入院の日から検査の続く毎日、手術の日が迫ってくる毎日を
出来る限り一緒にいました。

私の知りえる、栄養のあるものを携えて行きました。

その病院は何と、母の亡くなったところでした。
そして今回父の病室までも一緒でした。
なかには、17年前の母のことを覚えている看護婦さんまでも
数人存在し、私たちに声までかけてくれます。

すべてが17年前と同じでした。

毎日一緒にいるなかで、だんだんと父の気分が変化してきたのに気づきました。

最初の、病棟に対する恐怖は薄れて、今度は母との懐かしい思い出を語りだしたのです。
そうでした、そこは母が死んだところでこそありますが、
実はみんなが一緒にいられてとても楽しかったところでもあったのです。

日常が存在しない場所では、時間はたっぷりありました。
たくさん話して笑いました。

そして、手術の当日は・・私達は何と大笑いのおしゃべりをしていました。
父は隣のベッドの患者さんにエールを送り、すべてのものに感謝する、といって
オペ室に入っていきました。

私にとっても、今回のことは終了編でありました。
ガンセンターという、恐るべき場所への。
そして、ガンというものに対しての。

この恐怖を解消するために、父が私達に2度目のトライを作ってくれたのだと思います。
恐れれば、それを引き寄せる・・これは本当のこと。
でも引き寄せたのなら、それにも理由がある。

以前ここに書きました、「広島」に次いで今回も、二度目で終了しました。
二度きたら・・何でも真剣にかかれ。これはとっても重要だ、と確信しています。

追記ですが・・父のガンは手術で取り出してみると、検査の段階よりも数段
小さくなっていたそう。

私としては、心当たりがあるんですよ。^^

心配してくださっていた皆さん、ありがとうございました。




父の病


17年前母を癌でなくして、それから私の「真実を探す旅」が始まりました。
体も心も健康に生きる、その方法を見つけたいと思いました。

いわゆる健康法は手ぬるいのです。
特定の宗教でもない、言わば全ての人に通用する、
多分昔から人間に備わっている力を総動員させて健康に生きる方法。
それをどうしても探さなくては、と思いました。
それは後に残った父のためだったし、私の大切な周りの人のため、ひいては自分のためでした。

中国の気功法を訪ねたり、本の情報を頼りにフィリピンまで一人で
心霊治療を受けにも行きました。
中国大陸に太古の昔から伝わる占いにそれを求めたり、またインドの魔よけやら
スペインの血を持つジプシーのおばあさんにも指示したり、と出会う全てに
生命の真実を求めてきたのです。

今こう書くと、とってもアブナイ人間のようで・・。笑
でも必死でした。悲壮でした。

真実を教えてもらえたかどうかはさておいても、その出会った人全てが
とにかく誠実な人だったのに今気づきました。

それぞれに辿り着くまでの危険はありましたが、その当の本人たちには
一度も騙されたことはありませんでした。

フィリピンの心霊治療家のおばさんとは家族並みのお付き合いもさせてもらい、
気功を教えてくれた人たちからは、家族・兄弟のあり方までも気づかせて
もらいました。また、ジプシーのおばあさんにはそれこそ、食べられないときに
食べさせてもらったほどの恩があります。笑

そうして、今から4年前にセラピーに出会いました。

今までうっすら感じていたことが、セラピーを通して自分の中でピタッと来る感がありました。
それからは真実を求める先を外ではなくて自分の内にと方向を変え、
ただひたすら自分のセラピー記録をとりました。
そのノートは優に5冊を超え、自分がどんな幼年期を送ってきたのかを改めて見つめることに。

大人の自分が感じるこんなところ・・・これが実は自分が1歳のときの出来事が原因だったとは・・。
いつもこの種の言葉にいらだつ自分・・それが実は子供のときのこの感情と一緒だったり。

そんな驚きと気づきと感動の流れのなか、
気づけばセラピストを仕事にしている自分がいます。

最初に紀世子さんに(八ヶ岳セラピールーム主宰)会ったときには
セラピストには絶対なりませんから、と言った自分がいたのに。笑

シンガポールに10年住んで、今年春日本に戻ると・・
今度は父が癌になったという知らせが来ました。

母のときから17年の歳月が経っています。

その間に私が得たもの・・一言では言えませんが、を総動員させて今回のことに
あたろうと思っています。

私は医師ではありませんから、そういうことではなく、
超能力者でもないから、そうことでもなく
占い師でもないので、今後の予測もせず・・

ただ、いろいろを気づいた父の娘として、そして回りまわって自分に回帰した
セラピストの娘として父と一緒にいようと思っています。

何が起こるかな。




広島は・・



広島というところは私にとって、特別な場所でした。

小学二年生のときに家族旅行をした思い出の場所です。
出発は金曜日でその日は学校を早退するように母に言われていました。
その日のドキドキ、ワクワクしたこと!今でも何を着て行ったか、どこに泊まったか
寝台車の寝心地まで憶えているんですよ。

観光の中には、「原爆ドームと資料館」も入っていました。
もちろん、広島に行けばお決まりのコースです。
母は「一度は見ておかなければいけない所よ。」と言っていました。もちろん・・

その日資料館に入って私は途端に悲しみの坩堝に入ってしまったのです。
当時の洋服を着た子供のマネキン、被爆した弁当箱、被爆死した子供の書いた作文・・
自分と同じ年頃ということもあって、もろにその悲しみを受け取っていたのでした。
それから、です。
毎晩毎晩、夜中に目を覚ましては暗闇で泣くという行為が続きました。
それは実に私が中学生の頃まで続いたのでした。

それから・・月日が経ってシンガポールから日本に戻って、先日広島行きを誘われました。
実はそこに行くのをビビッテいる大人の自分がいました。
断ろうかと思っている私に、流れはそうはさせてくれません。
最後はお好み焼きを食べに行こう、と思おう!と自分を騙す始末・・。
とにかく大決心をして、向かいました。

当日・・例の資料館に行きました。
すんなりと観覧しました。自分でもビックリでした。
もっと取り乱すと思っていたからです。でも大人の私はもう大丈夫でした。
そしてそこを出るときには・・「これで広島は私の中で終わったんだ」という感覚でした。

自分の成長とともに、自分の中で解決していく感覚があるのだというのを実感しました。
それは成長の過程で得る、知識、経験、知恵の賜物だと。

全てが全て、セラピーで解決することはないんですね。
生活の中での楽しい出来事を通して、そして素敵な気分を味わうことで、
思わずして解決して行っていることもたくさんあるのに改めて気づきます。

ユーミンの歌ではないけれど、「目に映るすべてのことはメッセージ」なのでした。
どんなときもメッセージに気づく自分でいたいな〜、と思っています。





ここのところシンガポールをすこし留守にしています。

離れてみると改めてわかること、見えてくることがあるのは本当です。
アジアというエリアに暮らしていながら、結構本当のアジアを知らないでいたんだな、と思ったりします。
どちらかというとシンガポールでの暮らしはアジアの中の西洋風を気取っていたりします。
国の発展とともに、アジアの部分をなるべく切り捨てて頑張った所以かもしれません。

最近マニラでこんなことがありました・・

エビ麺を食べていると、口の中に何かが触る・・あれれ?っと出してみると
それは金タワシでした。驚
“うわ〜危ない!”これがまず最初です。

そして次の日・・あれれ〜?野菜炒めから髪の毛が出てきました。“ありゃ?”
これが二回目。

そして次の食事のときには・・なんと細くて長い釘が私のお皿の上のおかずの下から・・。
こうなったら、もう自己セラピーモードです。笑
早速開始です。

すると、出てきました。6才のインナーチャイルドでした。
わかってもらいたいことがあると言って泣いていました。
長いやりとりをしてセラピーを完了すると・・まず、今の自分の気分がとっても軽くなっていました。

セラピーは今のこの生活をより快適にするためのもの。決して過去にだけ焦点を充てたものでは
ありません。だって、私達は今を生きているんですものね。

私のインナーチャイルドは、6才のそのときの気持ちを今の大人の私に伝えたくて
手を変え品を変えやってきたのでした。
あのまま、気にもせずに見過ごしていたら、私にどんなことがあるのでしょう。
最低でも、毎食嫌な気分にはなっていたはず。

こんなとき、セラピーの手法を知っていて本当に良かった、と安堵します。
もし、知らなかったら〜なんて恐ろしくて想像すらできません。笑

数年前、必要な時期にこの手法を習えたことに最大の感謝です。

伝える?教える?


最近は居をフィリピンに移してまたもや自分の好きなことを探求したりする生活をしている。
そのうちの一つに素敵な出会いがあった。

マニラの小さな町に、その人と場所がある。
70歳をとっくに超えたおじいさんからたくさんのことを習うために通っているのだ。
全ての知恵を備えて、他人からは隠れるようにして開業しているお医者さん。
世界中から彼を探してやってくる本気の人だけを相手に治療をしている。
それは難病だったり、奇病だったり・・私には想像もつかないような病を持った人が続々と集まってくる。

それをそのおじいさんは、冗談を言って笑わせながら治していく。
ものすごい人数の患者さんをどんどんと治療するその姿、診療室の雰囲気、
スラム街の細い道を通ってくる患者さんの姿、診療所の傾いた木のドア・・。
世界一危険とされているマニラの小さい町でひっそりと診療している。

その理由は・・本気の人だけ相手にする、こと。
自分の体のこと、心のことを本気で考える人だけのために・・。

確かに最近私は思うことがあって、自分の持っている“伝えたい”気持ちを
冷静に見つめなおしている。
心のこと、体とのバランスのこと、見えない世界のこと・・。
今まではそれを周りの大切な人に“伝えたかった”のだ。

でもマニラにしばらくいて、そのおじいさんと出会って
少しそれが変わり始めた。

そもそも“伝える”必要はあるのか?
もしも本人が真剣であれば、本気なら知りたいことをきっと探すはず。そうして探し充てるはず。
そのプロセスも信頼できるものだろうし、たとえスムースに行かないようでも
きっと意味があるはずだ。
そうして探したものと邂逅して、それから本気の“伝える”作業が始まっていく。

でも最初から伝えられたらどうだろう?・・・とここまで書いてわかった。
私はどうやら“伝え”たかったのではなくて
“教え”たかったよう。これではまるで母親役だ。笑
教師にもなっちゃう。泣
それぞれの人にとって、物事はきっとタイミング良く運ぶことになっていると思う。
だとしたら、最初から教えられる、なんて迷惑というものだ。

そうよね〜。私にしても、探していくプロセスはものすごく快で楽しいのだもの。
核心に近づいていく手ごたえはまた格別。
シンクロを発見したり、直感を使ったり・・そうしてあとは本気パワー全開で
残りのパズルのピースがはまるのを感じる。

いろいろな意味でおせっかいだったなー、というのが実感だ。

と言うわけで、自分の中がまたまた変化していっている感じがします。
自分のために生きるという感覚も実感し出して、もっと自分が楽しくなってきました〜。


私の過去世


足の裏の痛さ、を自己セラピーしてみました。
引っ越してから実はずーっと痛かったようでした。
引越しの荷物運びに階段を上下するのでそのせいかな、
と思っていたのでなかなかセラピーまでは至らなかったのが事実です。お恥ずかしい話です。

両足の裏の痛さに注目して、そのエネルギーから探って行きました。

そして、体験したことは・・・

スペインに住んでいたときのこと19世紀の初頭です。
カミラという名前の女性の過去生でした。
朝早いスペインの町、それも路地裏の小道を一心に走るカミラ。
くつは当の昔に脱げてしまっています。ごつごつした石畳をはだしで逃げているのです。
道は雨が降った後らしく濡れていてしかも冷たい。
後ろから追ってくるのは、なんと彼女の夫。私が誰か他の男性を好きになったと誤解して
嫉妬に狂って追いかけてくるのです。

結果、彼女は後ろから夫にめった刺しにされて死んでしまいます。

そんな人生を見てそうして、その後、嫉妬というテーマで、ある出来事がありました。

今の私の周りで起こっていた出来事です。

私に対してのメッセージでした。

これを書いたのは今年6月のこと。
このときはまだ自分がその後フィリピンに来ることは確定していませんでした。
その後急にフィリピン行きが決まり9月にこちらに来ました。

来て間もなくは慣れなくて、上記の過去世のことはすっかり忘れていました。

マニラ市内には「イントラムロス」という壁で囲まれたエリアがあります。
数百年前に出来た壁で日本の出島のように特別区として活用されたところだそう。
今は観光地と化してスペイン統治時代の雰囲気を残す場所になっています。

10月のある日、そこを現地の人に案内してもらっていたところ・・
後ろからカレッサ(馬車)の蹄の音を聞いた瞬間に思い出したのです。
私、ここを必死で走ったことがある・・と。
何だろうと思いを手繰り寄せるとそれは以前体験したカミラの人生だったのでした。

足の裏の痛さはここを裸足で走ったときの痛さでした。
石畳の冷たさはこの瞬間のように感じられます。
足の痛みを通して今生の私にカミラが大切なメッセージを伝えてきていたのを再確認しました。

6月の時点でセラピーを終え、私の足の痛みはどんどん変化していました。
そうして気にもならなくなっていた矢先のことだったのです。

まさにスペイン領だったころのフィリピンで起こった過去生だったのでしょう。

フィリピンのスペイン統治は約450年も続きました。
その間、このイントラムロスは現地の人とスペイン人の抗争の場でした。

もう一つ、ここマニラで仲良くなった女性の一人・・カラミのことも紹介しなければなりません。
過去生の私の名前とよく似ています。後に彼女と話してわかったことがあります。
彼女は4人の子供に恵まれて、優しい旦那さんと何不自由ない生活をしていたところ
結婚18年経って、ある日突然旦那さんにもう一つ別の家族があることがわかったそう。
彼女にとっても「嫉妬・執着」は人生のテーマだったといいます。

私の過去世のひとつのテーマがが今ここ、マニラで完結したことを感じながら、
カラミの人生話を不思議な思いで聞き入っていました。


          宝 石      

宝石店にいたとき、よく聞かれた質問は
「私の場合、どの宝石を持ったらラッキーになれますか?」と言うものだった。
正直言って、そう聞かれると不思議な気持ちがした。

宝石は物でしょう。
だからあくまで人間のあなたと共振することはあっても、
石だけの力でラッキーを呼べるとは、
どうしても思えなかったのだ。

逆に、ある石を持ってから、不運が続いて・・・という話も奇妙に聞こえた。
石がそこにあるだけで、悪さをすることがあるのかな、と。

思うに、石と人間の波動やら、そういうもののコラボレーションであって、
人間のネガティブなものが前面に出てしまった場合、
きっと石ともその部分で共振することもあるのかも。

こういうときに役に立つのは「好き」と言う感覚だ。

好きだからこの石を持つ、というので十分だと思う。
好きならば、「快」なのだから、
私たちの気分はそれを見るたびに、良くなる。
さらに良い気分も悪い気分も群れを成す習性があるように思う。
ならば、きっと良い気分の延長で何か楽しみなことはあるかもしれない。

宝石の知識を知るのは、おおざっぱに言ったら「だまされないため」だ。

でもその後は自由に好きなものを選んだらいいと思う。

宝石は何億年も山中に眠っている。
掘り出されて、研磨される流通があってお店に並ぶ。
そしてお客様の前に晴れて、やってくる。

そうしたら、目の前のどんな石でもそれは貴重な縁物ではないかしら。
信頼のおける店で楽しく買い物ができれば、
それは楽しい思い出とともに自分の宝物になる。


執 着

過去生体験をしていて、過去の自分に「この件で執着を捨てたかった・・」と言われたことがある。
それから、どうやったら様々なものに対して執着心を捨てられるのか、ということが私の問いになった。


それができたらお坊さんにでもなってしまう、と友人に冗談を言われたりしたけど
でもそれが過去生の私からのメッセージならば、考えてみるに値するな〜、と感じていた。

執着を捨てるためにいろいろもがいた、もがいた。
こうすれば、ああすれば?と方法論に偏ったこともあるし、
執着してしまう対象を忘れてしまおうとしたこともある。・・・でもダメだった。

結果やけのやんぱちになって、そうして自分の心を逆に傷つけることになったことも。

そうして・・考えられるだけのことを考えて、実行して、行き着いたのが、
「手放して流れに任せる」ということだった。

正直いってもうこれ以外に方法がなかった。半ば、ギブアップした感じだった。
何かに逆らっている感覚を手放した、とでもいう感じ。
いいえ、もういいや、とほんなげた感じに近いかも知れない。

でもそれが回りまわって振り出しに戻ったのだ。

半分やけっぱちながらもそれは今の自分を認めて、
そして今の流れに任せることだったのだ。

そうしたら自然と、執着が外れていった。

するとまず自分がとても居心地が良いのがわかった。
ならばきっと過去生の私も快く感じているはず。
それでいいや〜って思える自分がいた。

以前、私の欠点は諦めやすいことだと指摘した人がいた。
その言葉が私の心のどこかにぺったりくっついていて、
何かあるたびに「諦めちゃダメなんだわ」って頑張ってしまった自分がいた。
だから自分の疑問に対して、「何が何でも解明してやる〜」っていう癖がついたかもしれない。

この「何が何でも〜」っていう感覚はとってもやっかいで、
全てのことを執念化?していたかもしれない。

手放してそれがどうなるか、見てみよう、という心のゆとりは微塵もなかった。
子供時代、まじめに生きることを良しとされてきたのが今となっては仇だな〜、なんて。

でも、この気楽に〜っと言うのも実は無気力とも違うのだ。

言葉を駆使して、ごちゃごちゃと考えようとしているのではない。
でもストンと腑に落ちる感覚もあるのだ。

「流れに任せて〜」なんて、実は大昔からその手の本には書いてあったとおもう。
でも全くできていなかった。わかっているつもりだったけど、実は対極にいたのだ。

何かにしがみつきながら、「流れに任せて・・」とやっていたのだと思う。

でもそれもこれもいつかはタイミングが来て、
本当に流れに乗って任せる感覚が訪れるものらしい、ということも今回わかった。

全部含めて「焦らず気楽に〜」がキーポイントだった。
何だか拍子抜けしてしまった。
口癖のように使うこの言葉が、感覚が実はお坊さんも求めてやまない
執着を手放すことのヒントだったなんて。

大切なことはいつもシンプルで身近にあることのような気がした。



咳(せき)

それは15年くらい前に始まった。今でも始まった場面を憶えている。
最初は乾いた咳だった。
それが、どんどん深いところから出てくるような感じになり・・
気がついたら
咳が出るときには話しはおろか、呼吸も苦しくなっていた。

「何でだろう?」いつもいつもそう思っていた。

病院に行って調べても異常はない、と言われる。
精神性のものじゃないでしょうか?
とまで言われるが、
どう治したらいいのかわからない。

次第に痰もからむ咳になり、肺炎か喘息か、と自分を疑うまでになってしまった。

咳を考えると、おちおち旅行にも行けない。
友人と話すだけでも、この咳で
相手を不愉快にさせているのでは、と不安だった。
サーズのときには周りからあからさまに嫌な顔をされて、自分が惨めだった。

「この咳は治らないのだろうか・・」

セラピー体験第一回目はもちろん、この「咳と痰」問題だった。
どうしてこれが起こったのか知りたかった。
毎晩、咳で死にそうになりながらも
何故かセラピーにその鍵があると
どこかで信じていたようだ。
セラピーを繰り返し受けるうちに、薄皮をはがすように咳はなりを潜めて行った。
だいぶ良くはなっていたが、ここ一発の感じはまだだった。

そんなとき、紀世子さんが「もう、やるだけやったから、後は放っておいたら?」と言ったのだ。
それまでの私は「何が何でも究明してやる〜」と言うくらい
真剣だった。
そしてそれに執着していた。

「放って置く〜??」と疑問に感じたけれど、
それ以上はその件でセラピーを繰り返す
必要性を感じなくもなっていたので、
そのまま放っておいた。それも自然な形で。

すると・・なんとゲホゲホ言っていた咳がどんどん治まる方向に。
不思議だった。今まで何をやっても減らなかった咳が1週間、2週間も出ずにいる。
たまに出ても、以前からみたら咳払いくらいにしか感じない。
本当に感謝だった。仕事にまで支障をきたしていたその咳は今見事に変化したのだった。

セラピーを知って、勉強を始めてそれは2年後のことだった。
今私は数年ぶりに、旅行に行きたい自分を発見して喜んでいる。
咳がひどいときは家で小さく小さく丸まって静かにしていた。
今は外に広がって、いろんなことを吸収したいな、って思える。

素敵な人にたくさん出会ってセラピーのこと、心のことを伝えたいな、って思えるのだ。
なんて素敵なことだろう。
咳が出なくなった私に周りの友人がまず、びっくりしている

咳は何を象徴していたのだろう?
答えは「たまりに溜まった私の思い」の塊だったように思う。
それを吐き出したくて、吐き出して楽になりたくて
10年以上も咳として少しずつ出そうとしていたのかも。

全てが必然だとすれば、
これも全部私がセラピストになるための道だったとしか言いようがない。
セラピーの効果を身を持って体験したのだから。
全てには、それが起こる理由があると思う。
理由がわかれば気づきとともに自分が変化する。

自分が変化すれば、その不都合がそこにある必要がなくなる、
ということが
起こるように思える。
それはものすごい楽しみなことじゃないだろうか。

それをみんなに伝えたい、知ってほしい。
そんな入り口から入って、人生を楽しく生きていく道もあるのだということを。



「ふと・・・と思う」

この、ふと・・って何だろうか。
ただ、「〜と思う」って言うのとはちょっとニュアンスが違う。
ずーっと考えていて、わかりました。
ふと・・って言うほうは、直感からきているじゃないかな。
〜と思う、って言うほうは、
どうやらときにはエゴから
来ているときもありそう。

「ふと、〜〜してみようかなと思ってやったら、大成功でした。」
なんて話を聞いたこともあるはず。
そーか、直感なのね。では、直感はどこから来るの??
それはきっと、魂から。魂の情報のように感じる。
だって
その、「ふと」思うその直前まで、
全然考えもしなかったことだったり
するのですもの。

ちょっと気をつけて、自分の気持ちを見守っていましょう。
そうして、ふと何かを思ったら、その通りにしてみようっと。
それがエゴを含まない魂の情報だったとして、
その通りに行動してヘンテコになることってあるのかな。
たとえ、ヘンテコな結果になったとしても、じゃあ誰が迷惑するのかな。
だーれも迷惑しないことに気づきました。笑




セラピールームのほんとのはじまり


母親の死を皮切りに、怒涛のようにいろいろなことが起こって
私の20代はあっという間に過ぎて行きました。
その頃の体重は
40キロを割り込み、精神不安定、過呼吸、パニック障害、
不安神経症などなど・・その頃は今のように細かい病名がなかったので
ぜーんぶで自律神経失調症ということになっていました。
首にところにある神経の一部が何かの理由できちんと機能しない、
という程度の説明でした。自分に何が起こっているのか、
全くわからなくて、起きればフラフラしてばかりなので
とにかくものすごい時間を横になって過ごしました。
電車に乗れない、乗れば出発直後にどうしても降りたくなってしまう・・

歯を喰いしばって電車に乗るので、とうとう奥歯が摩滅してしまいました。
間違って急行になんて乗ってしまったときには、
降りたくても降りられず冷や汗をかいて社内に座り込んでしまう・・
そんな毎日でした。本人の辛さとはうらはらに、
周りからは「怠け者」のように言われて、そのジレンマにまた傷つく・・・
悪循環の渦にいました。

今そんなことを思い出してみると、
その一連の出来事は全て今につなぐための出来事だった、と思えるのです。
あの時は必死で、わらにもすがる思いであらゆることを試してみました。
でも自分の心を見つめる、ってことは一番後回しだったと思うのです。

今、セラピールームをやっていて、クライアントさんがウチのドアを叩く・・
それはもう全ての準備ができた、ということのような気がしてなりません。

心の扉を開ける準備が整いました、
そう言って入っていらっしゃるのだ、と思うのです。

セラピーをさせてもらうのは、とにかく厳かな気分で、
しかも光栄なことだと思っています。
新しく生まれ変わる、その瞬間にご一緒できる感覚とも言うべきでしょうか。

自分のことをものすごく真剣に考えている、もう自分を見つめる以外にない、
そんな真剣な方たちだけを相手に、仕事をさせてもらえるなんて、
なんて光栄なことでしょう。

決して安くない金額を自分の心のために、
と思っていらっしゃる方々と真剣に取り組む・・

こんなに幸せなことがあるでしょうか。
そうして、セラピー後にはまた光いっぱいに輝いて行く
クライアントさんの姿を目にすることもできる。


冷やかしのない環境では全てが濃密で、そして全てが誠です。
そんなスペースがあるのだ、ということを伝えたくて
セラピールームを開きました。

気づきはヒーリングになり得るというのはわかっていても、
どうしたら気づけるのかそれはとてもわかりにくいことでした。

今ここに、あなたの心の傷ついた部分を気づいて癒せるスペースがあります。
勇気を出して体験してみませんか。


 「心が伝わることをする」

―――何に対してもそうだろうな、と思う。

何か一つを選ぶにしろ、これで自分の心、気持ちが伝わるかな、って考える。
それは自分用の物だったり、他の人への物だったり。

 ある時に目上の方から、紅茶の入れ方を教えてもらったことがあった。
お湯の温度とか茶葉の量とかではなくて、
それは愉快なワンポイントアドバイスだった。

紅茶はなみなみカップの9分目まで注ぐのよ、って。
それまで、もちろん紅茶はカップの
67分目くらいまでしか入れるものじゃない位
に思っていたので、その溢れんばかりの量にびっくりしたけど。
―――でも次の瞬間には、
「豊富にある、って豊かな感じだな〜」って思っている自分もいた。

カップを少し傾けただけで、とっぷりと口に含まれる
おいしい紅茶はいつもよりも香りもいい感じがする。
ただこんなことで、おいしい紅茶をどうぞ、
の気持ちもお客様に伝えられるのか、と思った。

午後の日差しが椰子の葉を通していっぱい入る
気持ちのいいシャングリラホテルでの出来事だった。

 おいしい物、珍しいものを食べたり、見たりした話を聞くことがある。
そんなときに一言最後に・
・「あなたにも見せてあげたかった〜
/食べさせたかった〜」の一言があったら
急にその人との距離は縮まり、そしてその人の心を受け取って、
聞いている方もうれしくなっちゃう。
その一言がなければ、ただの自慢話になる。この違いだ。すごい違い。
自慢話の多い人はえてして、孤独な感じだけど、しょうがない。
だって心を伝えては来ないのだもの。

 こんな風に考えると、
私達の周りにある全てのものはすなわち自分の心・
気持ちを伝えるためのもの、って気がする。
心という目に見えないものを伝えたくて、物を媒体にする。

でも心と物は呼応する。
ということは、物は心に感応する、ってこと。

気持ちのいい言葉で育てたお米がおいしいように、
気持ちのいい職人さんが作った家みたいに、

急に現われた素敵な人に場の雰囲気ががらりと変わってしまうように。

 こんなことをふつふつと考えているときが、とっても幸せです。


伝えたい気持ち    

ここ23日くらい前から、同じことを強く思ったりしている。
みんなに「心のことを伝えよう」って。心が大切だって、こと。

むかーし、前世で心が大切だって知っているのに、
いろいろ邪魔されるのがいやで隠していた自分がいたよう。
そして伝えることを諦めてしまってそのまま人生を終わっていた。
今度は大丈夫、伝えよう、っていうのが今生の私の使命の一つらしい。

見渡せば心に関する本は山のようにいっぱい出ているし、
もう耳にタコができるくらい言われ続けているけど。
でも、でも本当のところ、どうしたら心を大切に思えるのかとか、
心がどのくらい大切なのかとか、
実感を伴ってわかることは皆無ではないだろうか。

まず、それには・・自分の心がいかに傷ついてきたかを知ることから始めるといいと思う。
そうして、そのボロボロになった心のかけらを拾っていくプロセスを体験する。
一つ、かけらがはまるとどんなに自分がうれしく感じるか、それを体験してもらう。
一つ一つ、自分のハートに戻していく・・それはもともとの自分を知る旅だ。

そのときの開放感、自由な気分、そして生き返ったと思える感覚を体験していく・・
それこそが「心って本当に大切」と実感する瞬間だ。

ストレスで病気になりました、とはいつも聞く言葉だけど
ストレスを感じたのはどこでしょうか。

―――心です。
心がストレスを感じて、そうして体にそれを形として戻したのです。

「そういう人は心の弱い人です、だからもっと強くなってください」って
変な励ましかたをする人がいるけれど、それも変。
ストレスを感じないように、あなたの心をしてください、って言っている
だけではないのかな。
感じない心・・これこそ絶望しながら生きることを選ばせているだけ。

自分の心がどんなに傷ついてきたか、それを知るバロメーターは、
今あなたの周りに起こっている「不都合」です。
もちろん、その不都合から実際逃げてしまうのもOKだし、
飲んで歌って憂さを晴らしに行くのもOK。
でも、もし同じような不都合が繰り返しくるのなら、
ちょっと立ち止まってそれに注目するのもいいかもしれません。

これ、ってもしかしたら自分の心が起こしているかも・・って。


素敵な人に会いました




ハシバミ色の目をした、一見どこの国の人かわからない印象を受けました。

一生懸命何かを探している眼差しで、店の中を見回していました。

楚々として、でもきちんと自分の中心にセンタリングしているのが横にいる私にもすぐに
わかりました。急に何か話してみたくなりました。

声をかけると、待ってましたとばかりに笑顔を返してくれます。
しばし立ち話をしました。

それは23分の出来事だったでしょうか。珠玉の時間のように感じました。

 ときに人を惹き付けるものとは一体何でしょうか。
みるからに・・ではなくて感じるからに・・という能力を
使っているのではないかしら。
そのとき相手の外見ではなくて、もっと違うものを、
多分内面を見ているような気がします。

 内面を見る、って言葉を良く使うわりに
本当の意味を知っていなかったようです。

お互いの内面同士ではきっと出会いたかった相手を知っているのでしょう。

 その素敵な女性に出会ってからもう数日が経つのに、
その印象は益々強くなるばかり。

何かとても豪華な体験をしたような、そんな気分です。


5月10日   



庭の黄色い花はいよいよ勢いをつけ、つるをフェンスに巻き付けだしました。

そのつるを恰好いい方向へと誘導すべく、近寄ってみると・・

な〜んだ、自分で知っているのね、という感じ。

そうとしか思えないのです。そのつるはビュイーンと横に伸びてフェンスにしっかり

二重巻きになってまた次の場所を選ぶかのように宙に浮いています。妙におかしくて

吹き出してしまいました。

目もない植物なのに、どうして次に自分が行くべき場所がわかるのでしょう。

知覚だって、人間に比べてどうでしょう?

私なんて、見えていて、触ることもできるのにすっころんだりするのに。

そして、つる自体の強いこと、強いこと。

枯れてなお、その頑丈さに磨きがかかっているような・・。

ちょっと引っ張るくらいじゃ、ダメなんですよ。

フェンスにからむ黄色い花を見ていたら、空中サーカスを思いだしました。

これからいろんな植物との共演が始まって、私達を魅せてくれるのでしょうね。


楽しみです。それでは、太陽と雨にも協力してもらうことにしてたくさんの花がつくよう

期待していることにしましょう。

友人と電話でしゃべった後 ,

もし、自分の人生のプロセスが前もってわかっていたらどうかな・・
そう思ってみたことがありました。
それはともすると、占いに頼る自分みたいな感じかな。

 たとえば、今後私が大金持ちになる運命にあった、としましょう。
仕事が順調に行って収入がウルトラ増えるというシナリオ・・
そうしたら今の自分はどうするかな、ってことです。

答えは簡単にわかります。
私ならきっと
3年寝太郎みたいに、そのときまでず〜っと何もせずに、
待って待ってぐうたらしてるのでしょう。

世の中の殆どの人がそうなるのではないでしょうか。

今まで何でも、先に知りたい、知っていたら楽なのに・・って感じることもあったけど
全てを知る必要も権利もないんだ、って理解しました。

 旅行に行ったりすると、ひょんなことから面白いことが見つかったり、
楽しい人に出会ったり、っていうことがありますよね。
そしてそれこそが思い出に繋がったりして。

その感覚と似ているような気がします。

 だとしたら・・今後を予想することも、予知することもせずに
今の瞬間、瞬間をめいっぱい楽しめたら、
これが一番素敵な未来をつくる近道なのかも知れません。

 そして、いつも最後に占い師に言ってもらうように
「大丈夫!安心して」って言葉を

自分で自分に心を込めて言ってあげられたら素敵ですよね。

自分が自分の真ん中にいられることをする・・
これが実はとても気持ちのいいことだと感じるのです。

「依存」って自分が誰かにくっついているんですものね。
それじゃ、おんぶお化けみたいになってしまう。
依存された方もきっと重いはず。それは「責任」とは違います。

 自分は今まで、どうだったかな、ってちょっと考えていました。


  始まる感覚       

 今日はとってもシンガポールらしいお天気でした。

私は友人とランチをするために1フラートンに来ました。

白い雲、青い空、そして海には船がたくさん停泊していて眺めるたびに

ため息がでるほど素晴らしい天気。

風もいい感じにそよいで、まさに出航日和とはこのことでしょう。

出航、はまさにぴったりの言葉でした。

来週早々に彼女は香港で就職のためシンガポールを離れるのです。

香港で働くことを夢見続けて2年。いよいよの出航です。

 

海には潮の満ち引きがありますよね、月にも満ち欠けがありますね。

地球に一つ、空に一つ平等にあるのですねー。それをつなぐかのように

地面に立っている人間。それなら、きっと人間にも今が「行け」なのか

「待て」なのかそんな感覚が原始的にも備わっているのではないでしょうか。

 

待つべきときに、その時間すら感謝して待てたらどんなに素敵でしょう。

そして、滑り出しよろしく「行くべきとき」には自然に流れていけたら

それこそあっという間に、行くところにつけそう。

そして待っていた時間も流れ出したことも丸ごと、幸せになる・・・。

 

最近、私はプリミティブな感覚を感じています。

そうしたら、変な話ですが、花を見ても本当に感動するんですよ。

こう思ったらなんだか今までは感じる心が薄かったような気分にもなって。

感動するときって、私の胸のあたりにボーンってなにかエネルギーが来る様な感じなのです。すごい絵を見たとき、そして美しいものに感動したとき。

 

今なぜか時計草のイメージが出てきました。なんでかな。

「時が来た」ってことでしょう。

何がこれから始まるのかな。楽しみにしていましょう。

 


4月25日 待たされる自分    


待ち合わせ時間に30分遅れてきた友人がいました。
それから、そんな風に待たされる人に4人立て続けに会いました。
うーーん、と私。

一人ならまだしも、この人数は私に何かを気づくように言っている
メッセージに違いないと思って、それから自己セラピーです。

 そうしたら・・・2歳の私が出てきました。
(インナーチャイルドですね)

私が笑うので大人達はみんな抱っこしたがっています。
そして抱っこをすると決まって
大人たちは私にいろんな愚痴をこぼし始めます。
「みほちゃんなら、わかってくれるよね〜」とか、
「みほちゃんならきいてくれるよね〜」とか言いながら。

けど、私の小さい心はとっても悲しがっていたのです。
どうして、って生まれてまもなく
この世界の素晴らしさを教えてくれる人もなく、
ただただ大人の愚痴を聞いてあげるわけですもの。
そしてどうにもできなくて、笑ってあげていた、のでした。

それがわかって、本当に驚きました。
そのときの私は「もう、やめてー」と心で叫んでいたのです。

それが、今回の「待たされる」の感覚とぴったり一緒で、二度びっくり。

 「待たされる」という感覚は他の件でも私の中にありました。
待たされる状況は、私が作りだしていたのだ、と今回確信したのです。

「相手の都合で待たされる」、
もちろん待つことに学びがある場合も多いのですけど

でも問題は私の中にそれを誘発するもの、
それこそインナーチャイルドがいたという事です。

今日がそのインナーチャイルドをヒーリングする日だったのでしょう。

彼女は私のおなかの部分にいたそうです。
そして気づいてもらいたくて
信号を送っていたそう。

「おなか」は思いあたるのです。
数年前に治療したはずの部分がまったく同じ炎症を起こしていたのでした。

おなかに手をあてて聞いてみたら、「気づくため」にあったようでした。
―――でも、その気づきが今回の「待たされる」ことの気づきであったとは・・

 とにかくヒーリングは終わりました。。
これから、どんなことが起こるのでしょう。

本当に楽しみになってきました。



4月24日 お花屋さんへ

 気が向いたので、ブキティマ通りにある大きな花屋さんの問屋に行ってみました。

かれこれ数年ぶりでした。その前、私がここに来たてで休日といっても誰と遊ぶ

訳でもなし時間をもてあましていた日でした。同僚が連れて行ってくれたのです。

彼女は私よりも在星歴が長くてそのころももうシンガポールを
エンジョイしている風でした。頼もしく見えたなあ〜。

帰りのバスの番号を教えてくれて、さっさと次のアポに行く彼女の後姿を見て

「私もこうなれるんだろうかな〜」と思ったのを憶えています。

 久しぶりに行ったその花屋さんは広大な敷地を有していて、
街の中心部にある花屋さんたちが仕入れに来たりするところ。
とにかくいろいろあるある。

今日はピンクのブーゲンビリアを探しに行ったのですが、
気に入った色がなくて次回に。
蚊除けにローズゼラニウム一鉢とモンステラみたいな
葉っぱの鉢を2つ買って来ました。

買っている自分を客観的に眺めていて、とても不思議でした。
植物を買おう、なんて思ったのは実に5年ぶりくらい!

いつも近くに植物があるように錯覚していたけど、
自分の関心は違うところに行っていたのですね。

では、どこに行っちゃってたのかな?
自分の外側ですね、きっと。
自分の中には向かっていなかった。

ほーんと、これ最大の気づき。
外側を5年以上も徘徊していたのでしょうかね。ふー。
自分の庭を無視して外側に美しい庭を求めていたのかも。
ここのところ毎日普通にしているだけなんですよ。
でもたくさん気づきがある。

 帰りに古本屋に寄ってみると本棚の片隅から私を呼ぶ、分厚い料理の本が・・・。
ウィリアムソノマの書いた、料理書2冊が
なんと日本円で1500円くらいで売りにでているではありませんか。

定価なら一冊5000円以上はするもの。うわ〜っと歓声を上げて立ち読み!です。
めくる一ページ一ページが私の胸にずんずん入ってくる。
作る作らないという本ではないのは一目瞭然でした。
それは彼の生き方の全てが書いてあったのです。

 眺めて、感じる、その感覚を思いっきり楽しみました。それこそ至福の時でした。

 魂が何かと交信を始めている感覚、とでもいうのかな。
とにかくそこに存在しているだけで幸せのスポットに入ってしまうのです。

 こんな近くに古本屋さんがあったことすらわからなかったなんて。

見ているようで見ていない、聞いているようで聞いていない、
感じているようで感じていない、
そんな古い自分がいたのを、今振り返って感じました。

 そうそう、お花屋さんでは黄色い小さな花が
たくさんつく花も最後に買いました。

葉を触ったらぷーんといい香りがしましたから、ハーブの一種かもしれません。
黄色い花を探していたのですよ。先日のセラピーで言われてたので・・・。
庭に黄色い花を植えるように、って。
希望の花、だそうです。
たくさんの方に、希望が届きますように。
いいえ、ここを訪れる皆さんがご自身の心の中に希望を見出せますように。


4月 新しい家にて  

 

ここに住むことが私の長年の夢でした、と言ったら皆さんきっとびっくりされるでしょう。

シンガポールに来たばかりのころ、ひょんなことで道に迷い、このエリアに

迷い込んでしまいました。そのときの驚きったら、言葉にできません。

 

静かな住宅街、それも一戸建て(築40年ですが)、どうやら裏庭もあるらしい・・・。

道から覗くと、螺旋階段も見える。

植民地時代がそのままそこにひっそりと息づくような感覚にとらわれながら

ストレスを抱えていた私は道を探すよりも何よりも、その家々を見ながら

すっかり癒されてしまったのでした。

今から思い起こしても、不思議な一瞬でした。

それからというもの、頭の先までパンパンにストレスがつまってしまうと

夜中も構わず、このあたりを徘徊していました。

 

そうして、散歩が終わるころには、「よし、もう一回がんばってみよう!」と

何故かそう思える場所なのです。

いつかあんなところに住めたらいいな、と思っていたけどまさかそれが

実現しようとは正直思いもしなかった。

 

今、そのあこがれの建物に居て、カーテンを付けたくない自分に呆れています。

どうして、って、カーテンをつけたらあのとき私が外から見た階段が道を歩く私のような人から
見えなくなってしまうから。

変な理由ですか? 私はとっても真剣なんですよ。

 

このエリアを歩いて元気をもらったりする人が私の他にもいることを願って、

そうしていつかきっと住めるようになる希望を持ってほしいのです。

友人はカーテンを付けなきゃ家じゃない、くらいのことを言うけれど

(防犯上のことで心配してくれているのでしょう)でも私はここの丸見えの家が

大好き。そして通る光丸ごと感激して朝を迎えているのです。

 

もう少しこのままの状態を楽しんで、そうしたらうすーーーいセミの羽のような

カーテンをつけようかな。

先日ピッタリの生地を見つけたので早速オーダーしました。

庭のパームツリーはもう新芽を出しています。そしてラッキーファーンは

(幅広のシダの一種)元気良くぐんぐん葉を広げています。

生命力に溢れた今のこの時をもれなく楽しみたくて、生まれて初めての

早起きを自然にしています。

どんどん楽に生きられる〜〜〜〜。


3月 境界線

 

なぜか朝早く起きてしまった。たま〜にこういう日がある。

この時間は本当に静かでいろいろ感じなおそうとしたりするときに

もってこいの時間だ。

さて、最近の私の関心事は「境界線の引き方」だ。そう思っていたら

友人からもいろいろその手の話が出るから、不思議〜。

 

プライベートと仕事、お友達関係、大きく考えたら自分と他の人

の関係になる。今までこのことでどんなに悩んだだろう?でも去年あたりから

自己セラピーもしてきたので何となくわかっても来た。

「依存」の関係になりうるのは、全て自分に理由があったから、というのが

わかって、(心でわかって)とても驚いたのを憶えている。

ニューエージの本等には「全てのことは自分が発信地である」とか書いてあるのを

ご存知の方も多いはず。でもこれだけでは片手落ちなのだ。だって、じゃあどうしたら

いいの?っていうこの疑問に答えてはいないから。

ここがセラピーと違うところ。たとえばそれに関して

自分をセラピーで探って行ったら、どうしてそれが起こっているのか

なんらかの気づきがあるはず。

気づきが自分の深いところで起こったら、その結果ヒーリングも起こりうるわけで

そうしたら結果として自分のそれから取る行動が違ってくるかもしれない。

(もちろん無意識で)。エネルギーを含めて行動が違えば、今まで苦しんできた

「依存」の関係が変わる、かもしれない。

セラピーを受けた後、気楽に生活しているだけで何かがずんずん変わるかも!

っていうところがとっても楽しいのですよ。

 

10年以上前から盛んになった、ニューエイジ的な考え方では

「全てをポジティブに」っていうことしか声高に言っていなかったような

気がするけど、それじゃあ、みんなが迷ってしまうのも無理ないの。

「どうして、自分は前向きに考えられないんだろう?」って思う人を

製造しているだけになってしまうもの。

 

体と心は密接につながっているけどそれを私達にわかる形にしているのは

実は「感情」です。

いやならば、心がいやなのですよ。体もいやと言っているのです。

いい、ならばその反対。

 

そういうことが一つ一つ、わかって来る。それがセラピー。

20代の始めは何だか生きるのがとっても辛かった。

今はどうかというと、年をとったので、楽になりまして・・・って

ことじゃないでしょう。

言うならば、知恵が増したので、自分にくっつけていた「お約束」もはずせて

らくらーく行けるようになった、と思ってます。


みなさん、自分の「お約束事」をちょっと客観的に見てみませんか。

そしてもし、なら、手放して楽チンに生きてみませんか?

ちょっと感じてみて。

その「お約束事」っていつ、誰とどんな理由で作ったのかな、って・・・。